母語から生まれる物語

語り始める静かな声:若い世代が探る故郷の言葉

Tags: 少数言語, 若い世代, 文化継承, アイデンティティ, 故郷

故郷の言葉は「音」だった

北海道の沿岸部に位置する、ある町で育った山田さん(仮名、30代)。この地域ではかつて、アイヌ語など特定の少数言語が人々の間で話されていました。しかし、山田さんの世代になると、日常生活でその言葉を聞く機会はほとんどありません。ご両親との会話も共通語が中心で、祖父母の世代がわずかに古い言葉を使うのを聞く程度でした。

「子供の頃、祖父母が時折話す言葉は、不思議な『音』のように聞こえていました」と山田さんは振り返ります。「メロディーというか、抑揚に特徴があって、標準語とは全く違う響きでした。意味はほとんど分かりませんでしたが、それが故郷の言葉なんだろう、と漠然と感じていました。」

しかし、学校教育やメディアを通して触れるのは共通語のみ。地域社会でも、古い言葉が使われる場面は減っていきました。「大人になるにつれて、あの『音』を聞く機会はどんどん少なくなっていきました。故郷を離れて都市部で暮らすようになると、完全に聞かなくなりましたね。」

話せないことへの複雑な思い

故郷を離れて数年が経った頃、山田さんは自身のルーツについて考える機会が増えたと言います。「テレビで故郷の特集を見たり、地元のニュースサイトを読んだりする中で、自分自身のアイデンティティを意識するようになったんです。その時に、故郷の言葉を話せないことに対して、少し複雑な思いがあることに気づきました。」

それは、後悔や劣等感といった強い感情ではなく、むしろ「もったいない」という感覚に近いものだったそうです。「自分が育った土地に根差した言葉なのに、それを理解できない、話せないというのは、自分のルーツの一部が欠けているような気がしたんです。」

特に、故郷に帰省して、高齢の方がぽつりと古い言葉を交わすのを聞くたびに、その思いは強くなりました。「その言葉には、その土地の歴史や暮らし、人々の感情が詰まっているように感じられて。それを自分だけが共有できない寂しさがありました。」

静かな探求の始まり

話せない自分に何ができるのだろうか。山田さんは、まず故郷の歴史や文化に関する本を読むことから始めました。図書館で地域の民俗誌や郷土史を手に取り、言葉に関する記述を探しました。

「言葉そのものの情報は少なかったのですが、当時の人々の生活習慣や考え方に触れる中で、言葉がどのように生まれ、使われてきたのかを想像することができました。例えば、漁や農業に関わる言葉、自然を表す言葉には、その土地ならではの視点が反映されていると感じました。」

また、故郷の博物館が開催する地域文化講座に参加したり、インターネットで関連情報を検索したりもしています。最近は、同じように故郷の言葉に関心を持つ若い世代がSNSで交流していることを知り、連絡を取ってみることも考えているそうです。

「みんな、流暢に話せるわけではありません。でも、『何かを知りたい』『自分たちの世代なりに故郷の言葉や文化と関わりたい』という静かな思いを持っているようです。完璧に話せるようになるのは難しいかもしれませんが、そうした仲間と繋がることで、探求するモチベーションが維持できています。」

山田さんのように、故郷の言葉を話せないながらも、自身のルーツやアイデンティティに関心を持ち、静かに、そして能動的に故郷の言葉や文化と向き合い始めている若い世代は少なくありません。彼らは、話すことだけが言葉との関わり方ではないことを示しています。言葉の背景にある文化や歴史を知ること、言葉が息づいていた頃の人々の暮らしに思いを馳せること、そして同じ思いを持つ人々と繋がること。

未来への「静かな試み」

「すぐに何かが変わるわけではないと思います。でも、こうして故郷の言葉に触れる時間を持ち、その背景にある文化や歴史を知ることで、自分自身のアイデンティティがよりクリアになっていくのを感じています」と山田さんは穏やかに語ります。

話せないという事実を受け入れつつも、故郷の言葉への関心を諦めない。それは、失われつつある言葉に対する、若い世代の新たな、そして静かな向き合い方なのかもしれません。言葉は単なるコミュニケーションのツールではなく、文化や歴史、そして何よりも「人」と深く結びついていることを、山田さんの「静かな試み」は教えてくれます。故郷の言葉と向き合う彼らの声は、これからも静かに語り継がれていくことでしょう。