母語から生まれる物語

私が母語を継ぐ理由:未来へ残したい声の記憶

Tags: 母語, 継承, 少数言語, 文化, ルーツ

失われゆく言葉と向き合う中で

私たちは、幼い頃から自然と耳にし、話してきた言葉によって、思考の枠組みを作り、感情を表現し、周囲の人々と関わって生きています。それが「母語」と呼ばれるものです。しかし、社会の変化や教育環境、あるいは故郷を離れることなどにより、かつて当たり前のように話されていた少数言語が、日常から少しずつ遠ざかっていくという現実があります。

今回お話を伺った方は、まさにそうした状況の中で、自身の母語と改めて向き合い、「継ぐ」ことを決意された方です。かつては当たり前にあった言葉が、日常から少しずつ遠ざかっていくのを感じたことが、その始まりだったと言います。

耳慣れた音色が遠ざかった日々

お話を伺った方の故郷では、一昔前までは多くの人が特定の少数言語を使って生活していました。子供の頃は、祖父母や近所の人々がその言葉で話しているのを自然に耳にしていたそうです。家庭でも、両親がその言葉と標準語を使い分ける中で育ちました。その言葉の響きは、幼い心に故郷の風景や人々の温かさと結びついた、心地よい音色として刻まれていたと言います。

しかし、成長するにつれて、その言葉を耳にする機会は少しずつ減っていきました。学校教育は標準語が中心となり、地域の若い世代の間では、母語を話す人、理解できる人が少なくなっていきました。都市部へ働きに出る人が増え、地域コミュニティの形が変わっていくことも、言葉が使われなくなる要因の一つだったかもしれません。話者ご自身も、いつの間にか日常会話で母語を使うことはほとんどなくなり、流暢に話す自信も失われていったと言います。かつての「当たり前」が、静かに薄れていくのを肌で感じていたのです。

「このままではいけない」と感じた瞬間

言葉が日常から遠ざかっていく中で、特別そのことを意識することなく過ごしていた時期もあったそうです。しかし、ある時、地域のお年寄りが昔ながらの言葉で語り合っているのを聞いて、その言葉に宿る独特の表現や、土地の歴史、人々の繋がりを感じたそうです。それは、標準語では伝えきれないニュアンスや、その言葉だからこそ通じ合う心の機微のようなものだったと言います。

その時、「この言葉が失われてしまったら、自分たちのルーツの一部も失われてしまうのではないか」という強い危機感を覚えたそうです。それは、単なるコミュニケーションの手段が消えるというだけでなく、その言葉と共に育まれてきた文化、歴史、そして何よりも人々の心のあり方そのものが失われてしまうことへの恐れでした。

そして、「誰かがこの言葉を守らなければ、未来へ繋がなければ」という思いが募り、自分自身が学び直し、次世代へ伝える役割を担おうと決意されたのです。それは容易な決断ではなかったと言います。大人になってから言葉を学び直すことの難しさ、周囲の無関心、あるいは「今更なぜ?」という声があることも知っていたからです。それでも、「私」が、この言葉を未来へ残すための何かをしなければならない、という強い使命感が背中を押したと言います。

言葉を継ぐことの苦労と喜び

母語を学び直す道のりは、決して平坦ではありませんでした。忘れてしまった単語、曖昧な文法、そして何よりも発音の難しさ。かつて祖母が使っていた古い辞書や、地域の歴史が記された文献、あるいは録音されていた地域の民謡などを手掛かりに、独学で学びを進めたそうです。

その過程で直面したのは、言葉そのものの難しさだけではありませんでした。言葉が使われなくなった背景にある社会的な課題や、継承に対する人々の意識の差など、様々な現実も目の当たりにしました。時には心が折れそうになることもあったと言います。

しかし、言葉を学ぶ中で得られる喜びもまた大きかったと語ります。一つずつ言葉を取り戻す度に、幼い頃の温かい記憶が蘇ったり、お年寄りとの会話の中で新たな発見があったりするそうです。そして、何よりも嬉しいのは、自身の活動を通して、若い世代や、かつて母語から離れてしまった同世代の人たちが、少しでも母語に関心を持ってくれたり、話しかけてくれるようになったりすることだと言います。完全に流暢に話せなくても、言葉を学び、伝えようとするその過程そのものが、失われかけていた言葉に新たな命を吹き込み、人々の心に故郷の響きを取り戻しているのだと感じているそうです。

未来へ繋ぐ、言葉のバトン

言葉を継ぐことは、単に文法や語彙を覚えることではありません。それは、その言葉と共に受け継がれてきた歴史、文化、そして人々の温かい心を受け継ぐことなのだと、お話を伺った方は語ります。ご自身の経験を通して、言葉が失われる危機感を持ち、それでも立ち止まらずに行動を起こすことの尊さを教えていただきました。

故郷の言葉から生まれる物語は、過去のものではありません。失われゆく言葉を未来へ繋ごうとする人々の営みの中に、新たな物語が生まれています。その声に耳を傾け、共に故郷の文化やルーツを再発見していく旅は、まだ始まったばかりなのかもしれません。