歌声に宿る母語の記憶:失われた言葉と心を繋ぐメロディー
言葉を離れても心に残る音
私たちのアイデンティティは、様々な要素で形作られています。育った土地の風景、食の記憶、そして「言葉」もその一つでしょう。しかし、少数言語の話者にとっては、その母語が日常から薄れていく経験をされる方も少なくありません。言葉自体を話せなくなっても、あるいは最初から話せなくても、故郷の言葉や文化との繋がりを感じる方法は様々です。今回は、母語をほとんど話す機会がなくなったというAさん(60代)に、失われた言葉に代わって、故郷の「歌」が心の拠り所となっているお話をお伺いしました。
子守唄が教えてくれた温もり
Aさんが子供の頃、おばあ様や近所のお年寄りがよく歌っていた歌がありました。子守唄や、田畑での作業の合間に歌われる歌です。当時はまだ母語も使われていましたが、学校では標準語を習い、少しずつ日常での使用頻度が減っていきました。Aさん自身も、成長するにつれて母語を話す機会は減り、今では挨拶程度しか話せないと言います。
「言葉の意味は、正直言ってほとんど分かりませんでした。でも、メロディーや歌っている時の表情、声の響きで、何となく温かい気持ちになったり、楽しそうな雰囲気を感じたりしたんです。特に、おばあ様が歌ってくれた子守唄は、今でも耳に残っています。どんな言葉だったか正確には思い出せないけれど、あの優しい声とリズムを思い出すと、幼い頃の安心した気持ちが蘇ってきます」
Aさんにとって、母語の歌は単なる音の連なりではなく、言葉の意味を超えた感情や情景と結びついていたのです。それは、まだ言葉を理解する力が十分でなかった頃の、体全体で感じた記憶なのかもしれません。
歌に息づく、故郷の暮らしと文化
故郷の歌は、子守唄だけではありませんでした。田植えや稲刈りの時に皆で声を合わせて歌う作業唄や、地域の小さな祭りで歌われる歌など、様々な歌が人々の暮らしの中に息づいていました。
「作業唄なんかは、大変な作業を少しでも楽しく、一体感を出すために歌われていたんだと思います。リズムに乗って体を動かすことで、疲れも紛れたのでしょう。祭りの歌は、少し厳かな雰囲気で、その土地の歴史や神様への感謝を歌っているようでした。歌詞が分からなくても、歌っている人たちの真剣な表情や、集まった人々の様子を見ていると、ああ、これはこの土地にとって大切な歌なんだな、と感じることができました」
これらの歌は、その土地ならではの暮らしのリズム、自然への畏敬の念、そして人々の絆を映し出していました。言葉を話せなくなっても、歌のメロディーや雰囲気を通じて、当時の人々の息遣いや文化的な背景を垣間見ることができるのです。それは、教科書では学べない、生きた歴史であり文化でした。
歌声が繋ぐ、失われた言葉と未来
現代では、故郷で母語の歌を聞く機会はめっきり減ってしまったとAさんは言います。しかし、最近になって、地域の歴史を調べる中で、かつての歌が録音された音源に触れる機会があったそうです。
「久しぶりにその歌声を聞いた時、体中に電流が走るような感覚でした。忘れていた風景や、今は亡き人たちの顔が鮮やかに蘇ってきたんです。言葉は分からなくても、あのメロディーには、確かに故郷の魂が宿っている、そう強く感じました」
Aさんは今、言葉の意味を理解しようとするのではなく、歌そのものが持つ力、メロディーや声の響きに耳を傾けていると言います。歌を通じて感じる故郷への思いや、そこに生きた人々の営みを大切にしたい。そして、いつか機会があれば、この歌のことを次の世代に伝えていきたい、と考えていらっしゃるそうです。
母語を話せなくなったとしても、歌声は記憶を呼び覚まし、失われた言葉と文化への扉を開いてくれます。それは、言葉の壁を越え、私たちの心の奥深くに語りかけてくる、故郷からのメッセージなのかもしれません。歌声に耳を澄ませることで、私たちは自身のルーツとの見えない絆を感じ取ることができるのでしょう。