親が子に託した言葉:受け継がれなかった音と記憶
言葉が遠ざかった故郷で、親が子に伝えようとしたこと
現代社会において、標準語が広く使われるようになるにつれて、故郷の言葉から自然と離れてしまう人々がいます。自身もまた、故郷の言葉を流暢に話す機会を失った親世代が、生まれた子どもに故郷の言葉や文化を伝えようと試みたとき、どのような思いを抱き、どのような現実と向き合うのでしょうか。今回は、ある少数言語が話されていた地域出身で、現在は都市部に暮らす山田さん(仮名、50代)にお話を伺いました。山田さんは、ご自身も故郷の言葉を十分に話せなくなっていましたが、お子さんには故郷の言葉と文化を伝えたいと強く願っていたと言います。
自身もまた、言葉から離れて
山田さんの故郷では、山田さんが幼い頃にはまだ日常的に地域の言葉が使われていましたが、学校教育やメディアの影響で、成長するにつれて標準語が優勢になっていったそうです。「祖父母の世代は日常的に話していましたが、私の親の世代になると、もう家の中でも標準語を使うことが増えていました。私たち子ども世代は、学校で習う標準語が当たり前になっていたので、親が話す地域の言葉を聞いて理解はできても、自分から話すことはほとんどありませんでしたね。」
大人になり、故郷を離れて都市部で生活を始める頃には、地域の言葉を使う機会は一層減り、山田さん自身も「聞けば内容は理解できるけれど、会話するのは難しい」という状態になっていました。故郷に帰省した際に、親戚同士が地域の言葉で話しているのを聞くと、少し寂しい気持ちになったと言います。
子どもに「故郷」を託したい
そんな山田さんに子どもが生まれました。都市部で育てていく中で、山田さんは「この子が自分のルーツである故郷のことを何も知らないまま育つのは嫌だな」と感じるようになったそうです。「私自身、故郷の言葉をきちんと話せないことに対して、どこか後ろめたさや、自分の一部が欠けているような感覚がありました。だから、せめて自分の子どもには、故郷の言葉や文化の存在を知ってほしい、できれば少しでも触れてほしいと思ったんです。」
生まれたばかりの子どもに、故郷の言葉で話しかけてみようと考えたこともあったそうですが、普段自身が使わない言葉を日常的に使うことは、想像以上に難しかったと言います。「ぎこちなくなってしまうし、子どももきょとんとしているように見えて。結局、自然と標準語での語りかけになってしまいました。」
言葉の壁と、祭りへの帰省
言葉で伝えることの難しさを感じた山田さんは、代わりに故郷の文化や雰囲気に触れさせようと試みました。お盆や正月に故郷へ帰省するだけでなく、地域の伝統的な祭りの時期にも合わせて帰省するようになったそうです。「祭りは、地域の言葉が活きている場所だと感じていました。威勢の良い掛け声だったり、昔から歌い継がれてきた歌だったり。言葉の意味が分からなくても、その音の響きや、祭りに参加している人々の表情、熱気から、何かを感じ取ってくれるんじゃないかと思ったんです。」
しかし、子どもが成長するにつれて、故郷での体験は楽しい思い出として残る一方で、地域の言葉への関心は薄れていったと言います。「親戚のおじさんやおばさんが、子どもに地域の言葉で話しかけてくれても、子どもは標準語で答える。親戚もすぐに標準語に切り替えてくれるのですが、その度に『ああ、この子には言葉が継がれないんだな』と実感して、胸が締め付けられるような気持ちになりました。」
子ども自身も、周りの友達と違う言葉や習慣に戸惑いを感じることもあったようで、故郷の話を避けたり、帰省を嫌がる時期もあったと言います。親として、故郷を好きになってほしいという思いが、かえって子どもに負担をかけているのではないかと悩み、無理強いすることはやめたそうです。
言葉を超えて伝わるもの
故郷の言葉を直接伝えることはできませんでしたが、山田さんは別の形で子どもとの繋がりを保ち続けました。故郷の古い写真を見せたり、昔話を聞かせたり、故郷から送られてくる季節の産物を一緒に味わったり。そして何よりも、故郷にいる祖父母や親戚との交流を大切にしました。
「言葉は通じなくても、祖父母は孫の顔を見て本当に嬉しそうでしたし、子どもも、最初ははにかんでいましたが、だんだんとおじいちゃんおばあちゃんに懐いていきました。一緒に田んぼのあぜ道を散歩したり、庭先で一緒に野菜を収穫したり。そういう経験を通して、言葉とは違う部分で、故郷の空気とか、人との温かい繋がりとか、そういうものが子どもに伝わっていったのかなと感じています。」
山田さんが一番嬉しかったのは、大学生になったお子さんが、卒業論文のテーマに山田さんの故郷の文化を選んだことでした。「『お母さんの故郷についてもっと知りたいんだ』と言われたとき、言葉は伝えられなかったけれど、故郷への関心は確かに根付いていたんだと分かり、涙が出るほど嬉しかったです。」
受け継がれなかった言葉、受け継がれた思い
山田さんの経験は、少数言語を次の世代に「言葉そのもの」として受け継ぐことの難しさを物語っています。しかし同時に、言葉が失われても、故郷の記憶や文化、人との絆といった、言葉では表現し尽くせない大切なものが、形を変えて確かに心に受け継がれていく可能性を示唆しています。
「子どもが故郷の言葉を話せないのは事実ですし、そのことに対する寂しさは今でもあります。でも、故郷の風景を見て『ここ好きだな』と言ったり、地域の伝統行事について調べたりしている姿を見ると、『これで良かったのかな』とも思うんです。言葉は完璧に継承できなくても、故郷を大切に思う気持ちや、自分のルーツに関心を持つ心は伝えられたのかもしれません。」
山田さんの言葉からは、故郷の言葉を子どもに伝えられなかったことへの静かな葛藤と、それでもなお、言葉を超えた繋がりや継承の形を見出した親の深い愛情が伝わってきました。故郷の言葉が遠ざかっても、故郷から生まれる物語は、様々な形で次の世代へと紡がれていくのです。