母語から生まれる物語

静かになった言葉の代わりに、地域に息づく故郷の調べ

Tags: 少数言語, 故郷, 地域コミュニティ, Uターン, ルーツ

故郷の言葉、遠い響き

都市部で生まれ育った山田さんは、40代を機に故郷へUターンされました。お父様のご実家がある地域は、かつて独自の少数言語が日常的に話されていましたが、山田さんが子供の頃にはすでに、家庭でも地域でも標準語が中心となりつつありました。お祖父様やお祖母様は少数言語を話されましたが、孫である山田さんには標準語で話しかけていたため、山田さんはその言葉を聞くことはできても、話すことはできませんでした。

「祖父母が楽しそうに自分たちの言葉で話しているのを聞くと、子供心に少し仲間外れにされたような、壁があるような感覚があったものです。聞いているだけなので、何を話しているのかもよく分からない。それが、故郷の言葉に対する最初の記憶かもしれません」と山田さんは振り返ります。都市での生活が長くなるにつれて、故郷の言葉はますます遠いものになっていきました。帰省した際に耳にするわずかな響きは、懐かしいけれど自分とは直接結びつかない、風景の一部のような存在になっていったといいます。

地域活動の中で気づいたこと

故郷に戻り、山田さんは地域の消防団や、昔から続くお祭りの準備など、様々な地域活動に積極的に参加されるようになりました。そこには、高齢の方から同世代、若い世代まで、様々な人々が集まります。コミュニケーションは基本的に標準語で行われますが、ふとした瞬間に、年配の方々の口から少数言語の単語や独特の言い回しがこぼれ落ちることがあります。

例えば、祭りの準備で使う道具の名前、特定の作業手順を示す言葉。それらは標準語にはない、あるいは標準語とは全く違う響きを持っています。山田さんはそのたびに耳を澄まし、その言葉が持つ温かさや、長年地域で使われてきた重みを感じるといいます。「最初は意味が分からず戸惑うこともありましたが、周りの方が標準語で補足してくれたり、身振り手振りで教えてくれたりするうちに、だんだん理解できるようになりました。言葉そのものだけでなく、地域の皆さんの温かさや助け合いの精神が、言葉の意味を教えてくれたように感じます」

言葉なき言葉が紡ぐ絆

地域活動を通じて、山田さんは言葉が全てではないことを実感されています。祭りのために皆で汗を流す一体感、困っている人がいれば自然と手を差し伸べる優しさ、行事の後に車座になって笑い合う時間。そこには、言葉を超えた強いつながりがあります。

「お祭りの準備で、ある年配の方と二人きりで作業をしていた時のことです。ほとんど言葉を交わさなかったのですが、次に何をすべきか、お互いの動きを見ながら自然と分かり合えたんです。それは、長年この地域で培われてきた共通の感覚や、相手を思いやる気持ちから生まれるコミュニケーションなのだと感じました。言葉が静かになった故郷でも、人々の心には温かい絆がしっかりと息づいている。そのことに気づけた時、自分もこの地域の一員なのだと強く感じることができました」

また、地域の歴史や文化について学ぶにつれて、少数言語がかつての暮らしや自然といかに深く結びついていたかを知り、言葉への関心が改めて高まったといいます。特定の植物や動物、地形を表す言葉、あるいは漁や農作業で使われる専門的な言葉には、先祖代々受け継がれてきた知恵や自然への畏敬の念が込められています。言葉が静かになった今も、それらの知恵や精神性は、地域の慣習や人々の営みの中に形を変えて生き続けているのです。

故郷の調べ、未来へ繋ぐ思い

故郷の言葉が日常から遠ざかっている現状に、寂しさを感じる気持ちは山田さんの中にもあります。しかし、言葉を話せない自分だからこそ見えるもの、言葉が静かになったからこそ聞こえてくる故郷の「調べ」があることに気づかれたといいます。それは、人々の温かさであり、助け合いの精神であり、地域に根ざした文化の息吹です。

「かつての言葉を完全に復活させることは難しいかもしれません。でも、言葉が静かになったこの場所で、私たちが何を感じ、どう繋がっていくのか。それもまた、この地域の物語だと思うのです。私は言葉を話せませんが、地域の一員として、祭りや行事、日々の暮らしの中で、この温かい絆や文化を次の世代に繋いでいくお手伝いができればと思っています。言葉は静かになっても、故郷の調べは確かにここに息づいているのですから」

山田さんの言葉からは、故郷の言葉への敬意と、言葉が静かになった今だからこそ見つけられた地域への深い愛着が伝わってきます。言葉を話せるかどうかにかかわらず、故郷の文化や人々と心を通わせることができる。その気づきは、自身のルーツを見つめ直し、故郷との新たな関係性を築いていきたいと願う多くの人々にとって、静かに、しかし力強く響くメッセージとなるのではないでしょうか。