母語から生まれる物語

森羅万象を映す言葉:母語が教えてくれた世界の解像度

Tags: 少数言語, 母語, 文化, 自然観, アイデンティティ, 継承

森羅万象を映す言葉:母語が教えてくれた世界の解像度

言葉は単なるコミュニケーションの道具ではありません。それは時に、話し手の立つ土地の景色、人々の暮らし、そして物事の見方そのものを映し出す鏡となります。特に、特定の地域で育まれた少数言語には、その土地ならではの自然観や世界観が色濃く宿っていることがあります。今回は、故郷を離れて都市で暮らすある少数言語話者、〇〇さん(仮名、50代)に、母語が教えてくれた世界についてお話を伺いました。

〇〇さんが語る母語の最大の特徴は、自然描写の豊かさだといいます。標準語では「雨」と一言で済む現象も、母語ではその降り方、音、土地への影響、そしてそれが人々の心にもたらす感情までを含めて、多様な言葉で表現されるそうです。例えば、静かに大地を潤す雨、嵐のように激しく打ち付ける雨、遠くの山にかかる霧のような雨、そして人々の喉を潤し、作物を育む恵みの雨など、それぞれに固有の言葉があります。

「単に雨の種類を分類しているだけではないのです」と〇〇さんは語ります。「それぞれの言葉には、その雨がその土地の人々の暮らしや心にどう作用してきたか、という歴史や感情が込められているように感じます。霧雨一つ取っても、それが晴れ間をもたらす前兆なのか、それとも湿気を運び込むものなのか、といった文脈や、それを見て人々がどう感じてきたのか、という感覚が言葉に宿っている。それは標準語の『霧雨』という単語だけでは伝わらない、言葉の奥深さです」。

このような言葉のあり方は、その土地に生きる人々が自然とどのように向き合い、共生してきたかを示しているといえます。言葉が、自然の多様性やその恩恵を細やかに捉え、人々の感覚や経験と結びつけているのです。標準語が物事を一般化し、効率的に伝えることに長けている一方で、少数言語にはその土地の特定の事象や感覚を、より高い「解像度」で表現する力があるのかもしれません。

しかし、都市での生活では、残念ながら母語を使う機会は限られています。〇〇さんは、ご自身の子供たちには標準語で話しかけて育てたため、こうした母語特有の繊細な表現や、それに伴う感覚を伝えることが難しいと感じています。「子供たちは、標準語で自然現象を理解します。それはそれで正確なのですが、私たちの言葉に込められた、土地の匂いや、雨音を聞いて感じる寂しさや喜びといった、身体的で感情的な部分は伝わりにくいのかな、と」。

故郷に帰省し、高齢者の方々が話す母語を聞くと、その言葉の一つ一つに、長年その土地で培われてきた知恵や哲学が詰まっていることを改めて感じるといいます。彼らの言葉には、移りゆく季節や天候に対する深い洞察、そしてそれを人生や日々の暮らしと結びつける視点があります。それは、文字として記録されることの少ない、口承によって受け継がれてきた文化や思想の断片なのかもしれません。

〇〇さん自身も、母語で話すときと標準語で話すときでは、心の持ちようや思考のチャンネルが変わるように感じるといいます。母語を使うときは、より感情や感覚に素直になり、土地との繋がりを強く意識する。一方で標準語では、論理的で普遍的な思考が中心になる。「どちらが良い悪いではなく、言葉が私の心に異なる扉を開けてくれる感覚です」。

言葉は単なる語彙の集まりではなく、その言葉が使われてきた環境、歴史、人々の感情と深く結びついた、生きた文化そのものです。少数言語が失われるということは、単に語彙が減るだけでなく、その言葉に宿る独特の世界観や、それを育んできた土地の知恵、人々の感性が失われることに繋がります。

〇〇さんのように、故郷の言葉をすべて話せるわけではない、あるいは使う機会がほとんどないという方もいらっしゃるかもしれません。しかし、たとえ直接言葉を話せなくても、その言葉がかつて響いていた場所の風景や、そこに込められた人々の思いに触れることはできます。母語が教えてくれた「世界の解像度」は、言葉の音としてではなくとも、故郷の自然や文化、そしてそこに生きた人々の記憶の中に息づいているのかもしれません。

母語から生まれる物語は、話者個人の体験であると同時に、言葉が紡いできた文化や歴史の一端を私たちに教えてくれます。そして、自身のルーツにある言葉や文化への関心は、きっと私たちの世界の見方をも豊かにしてくれることでしょう。