母語から生まれる物語

言葉の音を記録する挑戦:静かになりゆく母語を未来へ残す試み

Tags: 少数言語, 継承, 記録, 音, ルーツ, アイデンティティ, 文化

静かになった言葉の音を探して

私たちが耳にする言葉の音は、それぞれの土地で、それぞれの歴史と共に形作られてきました。しかし今、様々な理由から、その音色が静かになりつつある言葉が少なくありません。今回は、そうした状況の中で、自身の母語の「音」を記録し、未来へ残そうと個人的な挑戦を続けている方にお話を伺いました。

音を残すという選択

今回お話を伺ったのは、ある少数言語の話者である田中さん(仮名)です。田中さんの故郷では、若い世代になるにつれてその言葉を話す人が減り、日常の中で耳にする機会が稀になったと言います。田中さんご自身も、子どもの頃は家庭で自然に言葉に触れていましたが、成長するにつれて標準語を使う場面が増え、母語を使う機会は限られていったそうです。

そのような状況の中で、田中さんが「言葉の音を記録する」という活動を始めたのは、数年前のことでした。きっかけは、ある日ふと、祖父母との会話で使っていた言葉の響きが、自身の記憶の中で曖昧になっていることに気づいたことでした。

「祖父母はもう他界していますが、幼い頃に聞かせてもらった昔話や、一緒に作業をしながら話した時の言葉の音色が、本当に懐かしいんです。でも、思い出そうとしても、断片的にしか蘇ってこない。あの独特のイントネーションや発音を、このまま忘れてしまうのは嫌だ、と思ったんです」

田中さんは、最初は自身の記憶を辿りながら、覚えている単語や言い回しをノートに書き留めることから始めました。しかし、文字だけでは伝わらない「音」こそが重要だと感じ、簡易的な録音機を使って、自身の言葉を録音し始めたのです。

暮らしに根差した言葉の響き

田中さんが記録しようとしているのは、いわゆる「辞書的な言葉」だけではありません。むしろ、日常生活の中で自然に使われていた言葉、例えば料理の名前や、農作業で使う道具の名前、天候を表す独特の表現など、暮らしに根差した言葉の響きに重きを置いています。

「例えば、『雨が降る』という簡単な表現でも、少しずつ降り始めた時、強く降る時、長く続く時で、色々な言い方やニュアンスがあったんです。標準語では一括りにしてしまいがちなものが、母語では細やかに表現されていました。それは、その土地の人々が自然とどう向き合ってきたか、どんな感覚を持っていたか、という文化的な背景と深く繋がっているんだと思います」

そうした言葉一つ一つに触れるたび、田中さんは幼い頃の記憶や、祖父母との温かい時間を思い出すと言います。言葉を記録する作業は、単に音を残すだけでなく、自身のルーツや、その言葉と共に育まれた文化を再発見する旅でもあるのです。

また、記録活動を進める中で、田中さんは同世代や少し上の世代で、同じように母語との繋がりが薄れつつある人々との交流も生まれてきたそうです。互いの知っている単語を教え合ったり、昔の記憶を共有したりする中で、「自分一人ではない」と感じることが、活動を続ける上での支えになっていると話します。

未来へ託す、音の欠片

田中さんの記録活動は、まだ個人的な試みですが、将来的には、同じルーツを持つ若い世代や、地域の歴史に興味を持つ人々に、この「音の記録」を聞いてもらいたいと考えています。

「完璧な形で全てを残すことは難しいかもしれません。でも、この音の欠片が、誰かが自分のルーツに興味を持った時に、何かを感じ取るきっかけになってくれたら嬉しいです。直接言葉を話せなくても、その音を聞くことで、故郷の風景や人々の営みに思いを馳せることができるかもしれません」

失われゆく言葉の音を追う田中さんの挑戦は、静かになった言葉の背景にある豊かな文化や、言葉が個人の人生やアイデンティティにどれほど深く根差しているかを、私たちに静かに語りかけているようです。言葉は姿を変えても、その響きやそこに含まれた記憶は、形を変えて未来へ受け継がれていくのかもしれません。