静かになった故郷の言葉:ある帰郷者が語る心の変化
ある山間の集落で生まれ育ったタカシさん(50代)は、高校を卒業後、進学と就職のために都市へと移り住みました。故郷にいた頃は、祖父母や地域のお年寄りたちの間で当たり前のように母語が話されていましたが、タカシさん自身は主に標準語で育ちました。それでも、暮らしの中に常に母語の響きがあり、それが当たり前の「音風景」だったと言います。
都市での日々、そして故郷の変化
都市での生活は忙しく、故郷の言葉に触れる機会はほとんどありませんでした。盆や正月に帰省するたびに、少しずつ言葉を話す人の声が減っているように感じてはいましたが、深く考えることはありませんでした。
数年前にUターンして故郷に戻ったタカシさんは、改めて大きな変化を目の当たりにしました。かつて活気にあふれていた母語での会話が、今では本当に静かになっていたのです。商店や道端で、自然な形で母語が交わされる光景はほとんど見られなくなりました。言葉を日常的に使っていた世代は高齢化し、若い世代は学校教育の影響もあり、ほとんど母語を話しません。地域によっては、保存会などが活動していますが、日常生活の中で「生きている言葉」としての母語の存在感が薄れていることを痛感したといいます。
静けさの中で響く、かすかな音
故郷に戻ってから、タカシさんは意識して地域のお年寄りの話を耳にするようになりました。ほんの少しでも母語が混じる会話を聞くと、子供の頃の記憶が鮮やかによみがえる瞬間があるそうです。それは、特定の単語だったり、あるいは話し方の抑揚だったり。かつては気にも留めなかったその響きが、今はとても貴重で、そしてどこか切ない音に聞こえると言います。
「例えば、お隣のおばあさんと立ち話をしている時、ふと昔ながらの言い回しが出てくることがあるんです。耳慣れない言葉なんですが、不思議と温かい気持ちになる。ああ、これが祖父母が話していた言葉の一部なんだなって。」
しかし、そうした機会は稀で、多くの場合、お年寄りの間ですら標準語での会話が中心になっています。言葉が静かになるにつれて、地域の人間関係も少し変わってきたように感じると言います。かつては言葉を通して共有されていた微妙なニュアンスや、地域特有の表現に含まれる人情のようなものが、標準語だけでは伝えにくくなっているのではないか、と感じることもあるそうです。
言葉がなくても、心に残るもの
タカシさん自身は、残念ながら母語を流暢に話すことはできません。しかし、故郷に戻り、言葉が静かになった現実と向き合う中で、言葉そのものだけでなく、その言葉が育んできた文化や、言葉を通じて結ばれていた人々の絆の重さを改めて感じるようになったと言います。
「言葉は薄れても、地域に根付いた祭りや、受け継がれている行事、そこで交わされる笑顔や手助けの精神は、確かに残っています。言葉が失われていく寂しさはありますが、言葉だけが全てではない、ということも故郷が教えてくれているように感じます。」
言葉が静かになった故郷で、タカシさんは自身のルーツと静かに向き合っています。流暢に話すことはできなくとも、耳を澄ませ、心で感じ取ることで、消えゆく母語の響き、そしてそれが紡いできた物語の一端に触れ続けているのです。そして、これから故郷で生きていく中で、自分にできる形でこの文化と関わっていきたいと考えています。言葉は声に出なくても、そこに宿る精神はきっと受け継がれていくと信じているからです。