日常から言葉が薄れても残るもの:見えない絆と心の風景
日常から言葉が薄れても残るもの:見えない絆と心の風景
この「母語から生まれる物語」では、様々な少数言語話者の方々にお話を伺っています。今回は、かつて日常的に少数言語が使われていた地域で育ちながら、次第に言葉を使う機会が減っていったというある方にお話を伺いました。言葉の変化が、その方の人生や、周囲の人々との関わりにどのような影響を与えたのか。静かに、しかし確かな声で語られた物語をご紹介します。
お話を伺った方の故郷は、かつて地域固有の少数言語が豊かに響いていた場所でした。幼い頃は、祖父母や近所の人々の間で自然とその言葉が交わされており、生活の一部として溶け込んでいたといいます。「遊んでいる時も、お手伝いをする時も、当たり前のようにその言葉を聞いていました。意味が分からなくても、その響きや声のトーンで、何か温かいものに包まれているような感覚がありました」と振り返ります。
しかし、学校に通い始め、地域社会でも標準語が中心となるにつれて、少数言語に触れる機会は徐々に減っていきました。家庭内でも、親は子どもに標準語で話しかけるようになり、かつては日常だった言葉は、特別な場面や限られた人との間でのみ使われるようになっていったそうです。「自分自身も、いつの間にか標準語で考えるようになり、あの言葉で話すのが難しくなっていきました。親も、私たちに苦労させたくないという思いがあったのかもしれません」。
言葉が日常から薄れていったことで、感じられた変化は少なくありませんでした。特に、祖父母とのコミュニケーションに変化が生じたといいます。かつては言葉の壁を感じることなく、冗談を言い合ったり、昔話を聞かせてもらったりしていましたが、共通言語が標準語だけになると、どうしても伝えきれないニュアンスや感情が生まれてきたそうです。「祖父母が、ふとあの言葉で何かを口にした時、それがどういう意味なのか、どういう気持ちで言っているのか、すぐに理解できないことが増えました。彼らの世界の一部に入り込めなくなったような、少し寂しい気持ちになったのを覚えています」。
しかし、言葉が減っていく一方で、別の形で繋がりが深まった側面もあったと言います。言葉にならない表情や仕草、共に過ごす静かな時間の中で、お互いを理解しようとする気持ちが強くなったのです。「言葉がすべてではないのだと感じました。たとえ同じ言葉を話せなくても、隣に座って一緒に景色を眺めたり、同じものを食べたりするだけで、心は通じ合える。むしろ、言葉に頼りすぎない分、相手の小さな変化にも気づきやすくなったかもしれません」。
また、言葉が薄れても、その言葉の背景にある文化や価値観は、形を変えて受け継がれていると話します。例えば、特定の祭りや年中行事。かつては儀式の中で少数言語の祈りや歌が捧げられていましたが、今は標準語に置き換わったり、意味を知る人が少なくなったりしても、その行事を行うという行為そのものに、先祖から受け継がれた思いや地域の人々との絆が宿っていると感じるそうです。言葉は器のようなもので、器が変わっても中身である文化や精神性は残りうるのかもしれません。
「言葉が日常から遠ざかったことに、後悔や寂しさがないと言えば嘘になります」と、正直な気持ちを語ってくださいました。「でも、だからといって、故郷との繋がりや、親しい人との絆が失われたわけではありません。言葉が変わっても、共に生きた時間や共有した記憶は消えませんし、言葉以外の表現方法で伝わる温もりもあります」。
言葉が薄れていく変化の中で、見えない形で育まれた人との繋がりや、内面で静かに変化していった心の風景。それは、言葉を話すか話さないかという単純な二元論では語れない、複雑で豊かな人間の営みを示しているのかもしれません。
最後に、この方が語った言葉が心に残りました。「言葉は大切ですが、言葉がすべてではありません。あの言葉で話す機会は減りましたが、あの言葉が生まれた土地で、あの言葉を使って生きてきた人々から受け継いだものは、言葉以外の形でも確かに私の中に息づいています。それは、私のルーツであり、これからを生きていく上での支えにもなるものだと感じています」。
自身のルーツである少数言語と、それが失われていく過程で経験した変化。その中でも見出し大切にしているものについて語っていただいたお話は、言葉を話せない、あるいは話さなくなった故郷を持つ多くの人々にとって、深く共感できるものではないでしょうか。言葉の有無を超えた、見えない絆の確かさを感じさせるインタビューでした。