母語が語りかける、野山の恵み:薬草に宿る地域の知恵
母語が語りかける、野山の恵み:薬草に宿る地域の知恵
静かな山あいの集落で生まれ育ったAさんは、今もその土地で暮らしています。子どもの頃、野山を駆け回る中で自然と耳にしていたのが、地域の少数言語と、草木の名前でした。特に印象深いのは、体調を崩したときや、ちょっとした怪我をしたときに、祖母や母が手当てしてくれた「薬草」にまつわる言葉です。
暮らしに根差した薬草と母語の記憶
Aさんの故郷では、野山に自生する様々な草木が、人々の暮らしと深く結びついていました。風邪をひいたときにはこの葉を煎じて飲む、傷にはこの根をすり潰してつける、お腹の調子が悪いときにはあの実を食べるなど、それぞれの植物が持つ効能や使い方が、代々口伝えで受け継がれてきたのです。
この知識が語られるとき、決まって使われていたのが母語でした。「この草はね、『〇〇(母語での植物名)』って言って、熱があるときにいいんだよ」と、祖母が優しく語りかけてくれたこと。一緒に山に入り、「これが『△△(母語での植物名)』だよ。切り傷に効くから覚えておきなさい」と、母が教えてくれたこと。その植物の姿や香り、使い方とともに、母語の名前と説明が、Aさんの心と体に刻み込まれていきました。
標準語では「ドクダミ」や「ヨモギ」などと呼びますが、母語には母語独特の響きと、それぞれの植物が持つ性質や用途に由来する名前がありました。例えば、ある解熱効果のある植物は、「火を鎮める草」のような意味を持つ母語の名前で呼ばれていました。その名前を聞くだけで、植物の効能や、それがどのように役立つのかが感覚的に理解できたといいます。
言葉が薄れても、心に残る知恵
時代が流れ、標準語が広く使われるようになると、野山の植物を母語で呼ぶ機会は減っていきました。特に若い世代は、薬草について学校で教わることもなく、古い世代の知恵が伝わりにくくなっているのを感じるそうです。
しかし、Aさんは今でも、野山を歩くと自然と母語での植物名が頭に浮かびます。「この時期になると、『□□(母語での植物名)』が芽を出すな」「あの川辺には、『△△(母語での植物名)』がたくさん生えているはずだ」と、季節の移り変わりや風景と結びついて、言葉が蘇るのです。
母語で受け継がれた薬草の知識は、単なる植物の名前や使い方ではありませんでした。それは、自然の中で共に生きるための知恵であり、家族や地域の人々との温かい繋がりの中で培われた信頼の証でもありました。病気になったとき、不安な気持ちを抱える家族に、母語で「大丈夫。この草を使えばきっと良くなるよ」と声をかけ、手当てをする。その言葉と行為には、知識だけでなく、深い愛情と安心感が込められていたのです。
自然と共に生きる言葉の遺産
母語で薬草について語る機会は少なくなりましたが、Aさんは、野山に息づく植物たちが、今も静かに故郷の言葉と知恵を語りかけているように感じるそうです。標準語には訳しきれない、植物一つ一つに対する細やかな観察眼や、自然への畏敬の念。そういったものが、母語の響きの中に今も宿っていると考えています。
故郷の野山に分け入ることは、Aさんにとって、失われつつある母語の記憶をたどり、地域の文化や祖先から受け継いだ知恵に触れる大切な時間です。薬草と母語が結びついた記憶は、Aさんのアイデンティティの一部として、これからも心の中で生き続けるでしょう。そして、野山の恵みを通して母語の物語に触れることは、私たち自身のルーツや、自然と共に生きてきた人々の暮らしに思いを馳せる機会を与えてくれるのではないでしょうか。