家族が集まる食卓で響く、母語の音:会話に刻まれた温かい時間
食卓に響いていた、懐かしい音
私たちのルーツを辿る時、特定の「音」が記憶の扉を開くことがあります。それは、歌声かもしれませんし、祭りの太鼓かもしれません。そして、多くの場合、最も身近で温かい音として思い出されるのが、家族の「声」ではないでしょうか。今回は、食卓という日常の場で響いていた母語の音について、〇〇さん(仮名)にお話を伺いました。
〇〇さんが幼い頃、食卓は家族団らんの中心でした。お祖父様、お祖母様、そしてご両親。皆が集まる賑やかな場所には、常に特定の少数言語が響いていたと言います。「子供ながらに、あの言葉を聞くと安心するというか、ほっとする温かさがありましたね」と〇〇さんは振り返ります。
特に印象深いのは、料理を指す言葉や、食事を促す時の決まり文句、あるいは他愛もない冗談を言い合う時の独特な言い回しだったそうです。共通語でも同じ意味を伝えることはできますが、母語で発せられるその言葉には、長年家族の間で培われてきた愛情や親密さが込められているように感じられた、と〇〇さんは語ります。それは単なる情報の伝達ではなく、その言葉を聞くこと自体が、自分がこの家族の一員であるという揺るぎない感覚を与えてくれるものだったのかもしれません。
静かになっていった会話
しかし、時代が移り、〇〇さんが成長するにつれて、家庭での母語の使用は徐々に減っていきました。学校教育は共通語で行われ、友人との会話も共通語が中心になります。ご両親も、子どもたちが社会に出て困らないようにと、家庭でも共通語を使う機会が増えていったそうです。
「気づけば、食卓の会話も共通語が主になっていました。もちろん、共通語でも家族と話はできますし、大切なことも伝えられます。でも、あの子供の頃に感じた、言葉そのものが持っていた『温かさ』というか、肌触りのようなものが薄れていくのを感じて、寂しさを覚えました」と〇〇さんは打ち明けてくださいました。
特に、お祖父様やお祖母様が話す母語を聞き取ることはできても、自分で流暢に話すことが難しくなっていった時、世代間での言葉の壁を感じたと言います。「祖父母が笑っているのに、そのジョークの細かいニュアンスが分からなかったり、昔の話を聞いても、言葉の壁で深く理解できなかったりすることが増えて。言葉が、心の距離を生んでしまうような感覚がありました」。
言葉を超えて受け継がれるもの
現在、〇〇さんの家庭で母語が響くのは、お盆やお正月など、親戚が集まる特別な時に限られるそうです。それでも、そのわずかな機会に耳にする母語は、〇〇さんにとって今も特別な意味を持っています。「たとえ短い会話でも、母語が飛び交うのを聞くと、あの頃の温かい食卓の記憶が鮮やかに蘇るんです。言葉そのものが、タイムカプセルのようですね」。
興味深いのは、言葉の使用頻度が減っても、食卓という場そのものが持つ温かさや、そこで受け継がれる習慣は変わらないということです。特定の行事にはこの料理を作る、皆で同じ方向を向いて食べる、食事が終わった後もしばらく団らんする、といった一つ一つの行動に、言葉にならない母語の精神が宿っているかのようです。
〇〇さんは言います。「母語を流暢に話すことは、私にとっては難しい道のりかもしれません。でも、食卓で家族と向き合い、同じものを食べ、笑い合う時間。その空間そのものが、祖父母や両親が母語で私に伝えたかった『温かさ』を今も受け継いでいるように感じます。言葉だけが全てではないのかもしれません」。
温かい時間を未来へ
〇〇さんは、自身の子供たちには、残念ながら母語を話すことは教えていないそうです。しかし、お盆やお正月に実家に連れて行き、親戚との交流を通して、食卓で響く言葉の「音」を聞かせたり、そこで交わされる温かい雰囲気を感じさせたりすることは大切にしています。
言葉そのものを完璧に継承することは難しくても、食卓という日常の場を通して育まれる家族の絆や、共に過ごす温かい時間の中に、母語が宿していた大切な何かが受け継がれていく。〇〇さんのお話からは、そんな静かで確かなメッセージが伝わってきました。母語から生まれる物語は、言葉の響きだけでなく、人々の営みや心の中に形を変えて息づいているのかもしれません。