母語から生まれる物語

時の流れと共に薄れた母語:ある世代が経験した言葉の静かな変化

Tags: 母語, 少数言語, 言葉の変化, 世代間断絶, ルーツ, 文化, インタビュー

当たり前だった言葉が、いつしか遠くへ

今回の「母語から生まれる物語」では、ある少数言語地域で生まれ育ち、現在は静かになった故郷の言葉を見つめるAさん(60代)にお話を伺いました。子供の頃には当たり前のように家庭や地域で響いていたその言葉が、Aさんの人生の中でどのように姿を変えていったのか、そしてその変化が心に残したものについて語っていただきます。

Aさんが子供だった頃、故郷では大人たちが当たり前のようにその少数言語を使っていました。 「家の中はもちろん、近所のおじさんやおばさんと話すときも、子供同士の遊びでも、自然とあの言葉が出てきたんです」とAさんは振り返ります。 特に印象に残っているのは、季節の変わり目に行われる地域の行事での言葉の響きだと言います。 「豊作を願う祭りや、収穫を祝う集まりでは、特別な歌や言い回しがありました。あれを聞くと、『ああ、この季節が来たんだな』と感じたものです。子供心にも、言葉と行事が一体になっているのを感じていました」。 それは、暮らしのすぐそばに言葉があり、言葉が暮らしそのものを形作っているような感覚だったとAさんは語ります。

静かに進んだ変化の波

しかし、Aさんが成長するにつれて、少しずつ言葉を取り巻く環境が変化していきました。 学校教育では標準語が中心となり、地域外からの情報も増えました。 「親も、私たち子供には『これからは標準語が大事だ』と言い聞かせるようになりました。自分たちでさえ、外に出れば標準語を使うのが普通になっていったんです」。 家庭の中でも、親と子で話す言葉が標準語になることが増え、少数言語は祖父母世代との会話や、特定の年配の人との間で使われるものになっていきました。 「気づけば、子供たちの間であの言葉を話すことはほとんどなくなっていましたね。遊びの中でふざけて使うことはあっても、真剣な話をする時にはもう標準語でした」。 この変化は、何か大きな出来事がきっかけで起こったというよりも、ごく静かに、しかし確実に進んでいったのだとAさんは感じています。まるで、潮が引くように、日常から言葉が薄れていったのです。

残ったもの、そしてこれから

大人になり、自身の子供を持った時、Aさんは故郷の言葉を伝えることに難しさを感じたと言います。 「自分自身も日常で使う機会が減っていましたし、子供に教えようとしても、なかなか難しくて…。結局、ごく簡単な挨拶や単語を教えるくらいで終わってしまいました」。 今では、故郷に帰っても、昔のように言葉が飛び交う光景は少なくなりました。特に若い世代で少数言語を話せる人は限られています。 「寂しい気持ちはもちろんあります。でも、言葉そのものが少なくなっても、そこに宿っていた温かさや、地域の人との間の見えない繋がりがすべて消えたわけではないと感じています」とAさんは言います。 例えば、顔を見ただけでお互いの状況を察したり、言葉を多く交わさずとも分かり合えたりする、そういったコミュニケーションのあり方は、言葉と共に育まれた文化の一部が形を変えて残っているのかもしれない、とAさんは考えています。

「あの頃の言葉が完全に日常に戻ることは難しいかもしれません。でも、あの言葉と共にあった記憶や、あの言葉が教えてくれた人との距離感や自然との向き合い方は、今も自分の中に確かに残っています。そして、こうして自分の経験を話すことが、誰かの心に何か響くものがあれば嬉しいですね」。

時の流れは、言葉のあり方を大きく変えました。しかし、その変化の中で失われたものだけでなく、形を変えて残ったもの、そして記憶の中に色褪せず輝くものもあることを、Aさんのお話から感じ取ることができます。