母語から生まれる物語

再び声を取り戻すために:故郷の言葉を学び始めた私の体験

Tags: 母語, 学び直し, ルーツ, 体験談, 少数言語, アイデンティティ

失われた声を探して

このウェブサイト「母語から生まれる物語」では、様々な少数言語話者の声に耳を澄ませています。今回お話を伺ったのは、故郷の言葉をほとんど話せずに育ち、大人になってからその言葉を学び始めたAさん(40代)です。かつて地域で広く話されていたその言葉は、Aさんの世代では日常的に使われる機会が激減しました。

「私の両親の世代はまだ話せましたが、私には積極的に教えてはくれませんでした。標準語が当たり前の環境で育ちましたから。でも、お盆などで祖父母に会うと、彼らが話す言葉を聞いて、どこか違う世界があるような気がしていました」

Aさんは、幼い頃から故郷の言葉に漠然とした憧れや、話せないことへの少しの寂しさを感じていたといいます。しかし、当時の生活の中でその言葉に触れる機会は少なく、遠いものとして感じていました。

学び直しを決意した理由

大人になり、仕事や生活が落ち着いてきた頃、Aさんは自身のルーツについて考える時間が増えました。故郷を離れて暮らす中で、ふと故郷の風景や人々のことを思い出すたび、言葉が伴わないことに物足りなさを感じ始めたのです。

「祖父母が元気なうちに、彼らの言葉で話してみたい。それが一番の動機でした。また、地域の伝統行事に参加した時に、その言葉で語られる物語や歌に触れて、言葉を知らない自分は、この文化の表面しか見ていないのではないかと思ったんです。もっと深く理解したい、自分もその一部になりたいという気持ちが強くなりました」

一念発起したAさんは、独学で母語を学び始めました。しかし、学習環境が整っている標準語とは異なり、教材を見つけることすら容易ではなかったといいます。

困難と喜び、そして見えてきた世界

「最初は発音の壁にぶつかりました。標準語にはない独特の音がたくさんあって、どうしてもネイティブのように発音できません。文法も標準語とは違う部分が多く、戸惑いました」

それでもAさんは諦めませんでした。幸い、地元で細々と活動している言語保存の会を見つけ、学習会に参加できることになりました。そこには、Aさんと同じように大人になってから学び始めた人や、若い世代に言葉を伝えたいという年配の方が集まっていました。

「学習会は大きな支えになりました。一人で悩んでいた発音や文法も、先生や仲間に聞くことで理解が深まりました。何よりも、同じ言葉に関心を持つ人たちと出会えたことが嬉しかったです」

学習を進めるうちに、Aさんは故郷の言葉が単なるコミュニケーションの道具ではないことに気づき始めます。言葉の中に込められた、故郷の自然観、人々の暮らし、そして歴史や文化が少しずつ見えてきたのです。

「例えば、ある特定の植物や生き物に対する呼び方が、標準語よりもずっと細やかだったりするんです。それは、昔から人々がその植物や生き物と密接に関わって生きてきた証拠なのだと感じました。また、挨拶や会話の端々には、相手を思いやる丁寧さや、地域特有のユーモアが織り込まれていて、その言葉を使う人々の温かさに触れるような感覚がありました」

言葉が繋ぐ絆

学び始めて数年が経ち、簡単な会話であれば故郷の言葉でできるようになりました。変化があったのは、家族との関係です。

「祖母と少し話せるようになった時、本当に喜んでくれました。これまで一方的に話を聞くだけでしたが、私の口から故郷の言葉が出た瞬間、祖母の顔がぱっと明るくなったんです。言葉を学ぶことで、祖母との間に新しい絆が生まれたように感じました」

また、地域のお祭りに参加した際、以前は理解できなかった歌の意味が分かり、深く感動したといいます。言葉が、これまで見えなかった故郷の風景や人々の想いを繋いでくれたのです。

未来へ、そして言葉への想い

Aさんは、これからも故郷の言葉の学習を続けていきたいと考えています。完全に使いこなせるようになるまでには時間がかかるかもしれませんが、学びの過程そのものが、自身のアイデンティティを深く探求する旅であると感じています。

「言葉は、その土地の歴史や文化、人々の心を映す鏡のようなものだと実感しています。失われつつある言葉を学ぶことは、単に語彙や文法を覚えること以上の意味がありました。それは、自分のルーツと向き合い、これまで知らなかった自分の一部を発見するプロセスでした」

Aさんのように、一度は遠ざかった故郷の言葉に再び向き合い、学び始める人は少なくありません。彼らの静かな挑戦は、失われゆく言葉に新たな息吹を与え、未来へと繋ぐ大切な営みと言えるでしょう。言葉を通じて、私たちは自分自身の「物語」を再発見するのかもしれません。