受け継がれなかった言葉と仕事:ある日、母語が私に語りかけたこと
標準語の世界で働く中で
私は今、故郷を離れて都市で暮らしています。仕事は標準語を使うのが当たり前の環境です。日常の会話はもちろん、会議や書類作成、お客様とのやり取りまで、すべて標準語です。故郷にいた頃も、学校教育は標準語でしたし、若い世代の間では標準語が主流になりつつありましたから、標準語を使うこと自体に特別な違和感はありませんでした。
ただ、私の親や祖父母の世代は、日常的に少数言語を使っていました。両親は私にもその言葉で話しかけてくれましたが、私はなぜかうまく習得できませんでした。子ども心に、学校で習う標準語とは違う響きに少し照れがあったのかもしれませんし、周りの友達が使わない言葉だからと避けてしまった部分もあったのかもしれません。結局、私は親の言葉をほとんど話せないまま大人になりました。
故郷を離れて都市で働き始めてからも、そのことを意識することはあまりありませんでした。仕事に追われる日々の中で、故郷の言葉のことは、たまに親と電話で話すときに、相手の言葉が少し聞き取りにくいな、と感じる程度でした。標準語で生活し、標準語で働くのが、私にとっての日常だったからです。
職場での小さな出来事
そんな私が、自身のルーツや、受け継げなかった親の言葉について深く考えるきっかけとなったのは、ほんの些細な出来事でした。職場で新しいプロジェクトが始まり、チームに加わった同僚の中に、偶然にも私の故郷にゆかりのある方がいらっしゃったのです。
その方は、私よりも少し上の世代で、故郷の少数言語を話せる方でした。最初は、出身地が同じということで話が弾み、仕事の合間に故郷の話題で盛り上がる程度でした。しかし、ある時、その方が何気なく口にした故郷の言葉に、私はハッとさせられました。
それは、仕事とは全く関係のない、例えば「疲れたときにホッとする」といった、日常的な感覚を表す言葉でした。標準語でももちろん表現できますが、その方が使った故郷の言葉には、何とも言えない温かさや、故郷の情景が目に浮かぶようなニュアンスが含まれているように感じられたのです。
「その言葉、どういう意味ですか?」と尋ねた私に、同僚の方は丁寧に説明してくださいました。そして、「この言葉を使うとね、なんだか心が落ち着くんだよ」と笑ったのです。その時、私は自分の親が同じような状況で、おそらく同じ言葉を使い、同じように心を落ち着かせていたのではないか、と思いました。
言葉に込められた感情と文化
その日を境に、私は職場で耳にする故郷に関連する話題や、同僚の方が使う言葉に敏感になりました。仕事の場で、標準語での効率的なコミュニケーションが求められる中でも、故郷の言葉が持つ独特の響きや、それに込められた感情や文化が、確かにあるのだと気づき始めたのです。
それは、単に言葉の意味を知るということとは少し違いました。例えば、特定の季節の行事や、食べ物について話すとき、標準語での説明だけでは伝わりきらない、故郷の人々の暮らしぶりや価値観、自然との向き合い方のようなものが、その言葉の端々に息づいているように感じられたのです。
幼い頃、親が話す言葉を理解できなかった自分。なぜもっと真剣に聞かなかったのだろう、話せるようになろうとしなかったのだろう、という後悔の念が湧き上がってきました。同時に、言葉を話せなくても、私の内には確かに故郷の血が流れており、その文化や価値観から影響を受けているのだ、という感覚も強くなりました。
働く場所から見つめ直すルーツ
都市での仕事という、ある意味で故郷とは切り離された日常の中に、ふと故郷の言葉や文化の断片が現れたことで、私は自分自身のルーツをより深く見つめ直すようになりました。それは、故郷の風景や食べ物を懐かしむのとは違う、もっと内面的な、アイデンティティに関わる気づきでした。
言葉を話せないことは、時に心に壁を感じさせることもあります。しかし、職場での経験を通して、言葉は単なるコミュニケーションの道具ではなく、そこに生きる人々の歴史や知恵、感情が織り込まれたものであることを学びました。そして、その言葉に触れること、その背景にある文化を知ろうとすることが、たとえ流暢に話せなくても、自身のルーツと繋がる大切な一歩なのだと考えるようになりました。
今は、すぐに言葉を習得することは難しくても、故郷の言葉や文化に関する本を読んだり、両親との会話に意識的に耳を傾けたりするようになりました。仕事の場でも、故郷にゆかりのある同僚の方との交流を通して、学びを深めています。
受け継がれなかった言葉は、私にとって乗り越えるべき壁であると同時に、自身のルーツへと続く扉でもあるのかもしれません。働く日々の中で芽生えたこの思いを大切にしながら、これからも故郷の言葉と文化に静かに寄り添っていきたいと考えています。