母語から生まれる物語

自然と響き合う言葉:失われゆく故郷の音風景

Tags: 少数言語, 母語, 自然, 文化, 故郷, 音風景

故郷の自然を写し取る言葉

このサイトでは、少数言語話者の方々に、ご自身の言葉と文化についてお話を伺っています。今回は、ある特定の地域で話されていた少数言語にルーツを持つ方に、その言葉と故郷の自然との深い結びつきについてお話を伺いました。故郷を離れて久しい方も、あるいは言葉を直接話す機会が減った方も、それぞれの形で心に宿す「母語」の風景があります。

お話を伺った〇〇さん(仮名)は、現在ではその地域でも話す人が少なくなった言葉の中で育ちました。子供の頃の故郷の記憶は、鮮やかな自然の風景と、そこで交わされていた言葉と共にあります。

「私の故郷は、山と川に囲まれた静かな場所でした。子供の頃、祖父によく連れられて山に入ったのですが、祖父は木の名前一つ、草の名前一つを、標準語とは違う響きの言葉で教えてくれたんです。ただ『木』や『草』というだけでなく、幹の太さや葉の形、生えている場所によって、驚くほどたくさんの呼び名がありました。雨が降った後の土の匂い、風が木々の間を抜ける音、川の流れの速さにも、それぞれを表現する言葉があったと記憶しています」

〇〇さんは、その言葉たちが、単なる名称ではなく、故郷の自然に対する人々の感覚や畏敬の念を映し出していたと感じています。例えば、同じ種類の木でも、神が宿るとされる木、建材に適した木、燃料にする木など、それぞれの役割や人との関わりによって言葉が異なっていたと言います。それは、自然を単なる資源としてではなく、共に生きる存在として捉えていた祖先たちの世界観が、言葉の中に息づいている証拠でした。

言葉と共に変化した感覚

しかし、時代が移り、標準語が普及するにつれて、〇〇さんの故郷でもその少数言語は次第に話されなくなっていきました。学校教育やメディアの影響に加え、若い世代が都市部へ移住することも、言葉の継承を難しくしました。

「私が大人になる頃には、日常会話でその言葉を使うことはほとんどなくなっていました。祖父母の世代が亡くなり、村の行事も簡素化される中で、自然に関する豊かな語彙も使われる機会が減っていきました。今、故郷に帰ると、以前と同じ山や川があるのですが、そこから聞こえてくる音が違って感じるのです。正確に言うと、聞こえてくる音は同じでも、それを受け止める自分の感覚が変わってしまった。以前は、風の音一つにも、木々のざわめき一つにも、言葉が寄り添っていたような気がします。その言葉を通して、自然の小さな変化や、そこに宿る気配を感じ取っていたのだと思います。言葉が失われたことで、自然との間にあった見えない繋がりが薄れてしまったように感じています」

かつては、川の色や流れ方を見て魚の種類や数を予測したり、風の向きや強さで天候の変化を読み取ったりする際に、その土地固有の言葉が重要な役割を果たしていました。それらの言葉は、単なる気象情報ではなく、長い年月をかけて培われた経験と知恵、そして自然と共生するための感覚が凝縮されたものでした。言葉を失うことは、そうした繊細な感覚や知恵、そして自然への深い理解を失うことでもあったと、〇〇さんは語ります。

心に残り続ける音風景

言葉は薄れてしまいましたが、〇〇さんの心には、故郷の自然と響き合っていた言葉の「音風景」が残り続けています。それは、特定の単語や文法といった形ではなく、祖父母の声の響き、風の音と重なる言葉、川のせせらぎに溶け込んだ話し声といった、感覚的な記憶として留まっています。

「直接言葉を話せなくても、故郷の山や川を見ると、祖父が語ってくれた言葉の断片が心に浮かぶことがあります。それは、まるで音楽のような、心地よい響きとして。その響きを思い出すたびに、故郷の自然がより鮮やかに、そして少し切なく感じられます。言葉は、単なるコミュニケーションの道具ではなく、その土地の歴史や文化、そして人々の心そのものなのだと改めて感じています」

言葉を継承することの難しさを感じつつも、〇〇さんは、ご自身の子供たちに、故郷の自然の美しさや、かつてそこにあった言葉が自然とどのように結びついていたのかを語り聞かせることが大切だと考えています。それは、直接言葉を教えることとは違うかもしれません。しかし、言葉が育んだ自然への畏敬の念や、繊細な感覚を伝えることで、子供たちが自身のルーツに触れるきっかけになればと願っています。

母語が失われゆく中で、故郷の自然は静かになってしまったように見えるかもしれません。しかし、耳を澄ませば、風の音、川のせせらぎ、木々のざわめきの中に、かつて響いていた言葉の面影を感じることができるのではないでしょうか。それは、言葉を直接話せなくても、私たちの心の中に残り続ける、大切な故郷の音風景なのかもしれません。