母語から生まれる物語

故郷の言葉が、私の仕事に教えてくれたこと

Tags: 故郷の言葉, 仕事, アイデンティティ, 文化, 都市生活

標準語が日常のなかで

私は現在、東京のオフィスで働いています。日々、仕事で使う言葉は標準語です。会議での発言、資料作成、クライアントとのメールのやり取り、全てが標準語で行われます。子供の頃に耳にした故郷の言葉は、家庭内でも徐々に標準語に置き換わっていき、今ではほとんど話す機会がありません。聞き取りはできても、自然な会話は難しい状況です。

しかし、都市で働き、多様な人々と接する中で、故郷の言葉や、それに紐づく文化を意識する瞬間がたびたび訪れるようになりました。それは、単に懐かしい思い出としてではなく、現在の私の仕事や人生に新たな視点を与えてくれる、大切な要素として感じられています。

仕事で再発見する言葉の奥行き

以前、故郷の地域で生産されている特産品に関するプロジェクトに携わった時のことです。その特産品には、標準語での一般的な名称とは別に、故郷の言葉で呼ばれる名称がありました。プロジェクトの資料を作成するにあたり、その故郷の言葉の名称について調べたところ、単なる呼び名ではなく、その言葉自体が、生産過程における特定の技術や、古くから受け継がれる素材の特徴、さらには地域の自然への畏敬の念といった、様々な文化的な背景を含んでいることが分かったのです。

標準語でその特産品を説明するだけでは伝えきれない、言葉に宿る奥行きがあることを知りました。この発見は、プロジェクトの企画内容に深みを与えるだけでなく、言葉が単なる情報伝達のツールではなく、その土地の歴史や人々の営みが凝縮されたものであることを、改めて教えてくれました。仕事を通じて、故郷の言葉が持つ豊かな世界に触れた経験でした。

言葉の温かさが繋ぐもの

また、仕事でコミュニケーションの重要性を日々実感する中で、故郷の言葉が持つ独特の温かさや、人との繋がり方について考える機会もありました。故郷から上京した祖父母と話す際、標準語ではどうにも言葉が滑らかに出てこず、伝えたいことが十分に伝わらないもどかしさを感じることがあります。しかし、私が知っている数少ない故郷の言葉を少しでも使うと、祖父母の表情が和らぎ、会話が弾むような感覚があるのです。

これは、言語能力の問題だけではないと感じています。故郷の言葉には、育った環境、共有する経験、そして何よりも、家族や地域の人々の温かい感情が織り込まれているからではないでしょうか。仕事上の論理的なコミュニケーションとは異なる、心と心が触れ合うような言葉の力があることを、祖父母との会話を通して実感しています。

アイデンティティの一部として

故郷の言葉を流暢に話すことはできなくても、その言葉が育まれた土地の文化や価値観は、確かに私のアイデンティティの一部として存在していると感じています。仕事を通じて故郷の言葉の背景に触れたり、家族との会話で言葉の温かさを感じたりするたびに、自分のルーツを意識し、それが多様な人々が集まる都市での仕事や人間関係において、私自身の個性や強みにもなっているのかもしれないと感じるようになりました。

言葉は、話せなくなっても、その響きや文化的な背景は心の奥底に残り続けるものなのかもしれません。そして、思いがけない瞬間に、私たちの人生や仕事に示唆を与えてくれることがあるのです。故郷の言葉が私に教えてくれたのは、言葉の多様性が持つ価値と、それが個々の人生に与える静かながらも確かな影響でした。

今後の言葉との関わり

今後、故郷の言葉を積極的に学習するかは分かりません。しかし、その言葉が静かに息づいている故郷の文化や歴史に耳を傾け、理解を深めることは続けたいと考えています。それは、自身のルーツを大切にすることであり、また、変化し続ける社会の中で、多様な価値観を理解するための大切な一歩となるからです。故郷の言葉が私に教えてくれた気づきは、これからも私の仕事と人生の糧となっていくことでしょう。