母語から生まれる物語

気づけば聞こえなくなった母語:ある家族の言葉の物語

Tags: 母語, 家族の物語, 世代間の変化, 故郷の記憶, 言葉とアイデンティティ

静かになった日常の音

かつて、私の周りには故郷の言葉が満ちていました。特に幼い頃、家の中や近所では、それが当たり前の音でした。祖父母や両親、親戚たちが交わす言葉は、まるでその土地の空気のように自然な響きを持っていました。囲炉裏端で語られる昔話、畑仕事の合間の井戸端会議、夕食の支度をしながら聞こえてくる親の声。その一つ一つに、私の故郷の暮らしが刻まれていたのだと感じています。

しかし、ある時を境に、その音は次第に静かになっていきました。

言葉の変化、家族の変化

私たちの世代が学校に通い始める頃、教育は標準語で行われることが当たり前になりました。学校で友達や先生と話す時は標準語を使うようになり、家でも宿題をする時などは標準語を使うことが増えました。

同時に、親たちも私たち子どもには標準語で話すことを意識するようになったようです。彼らは、私たちが将来、外の世界で困らないように、という親心からそうしたのだと思います。「この言葉は、この土地から出たら通じないからね」と、少し寂しそうな顔で言われたこともありました。それは、言葉が持つ「実用性」という側面に光が当たり始めた瞬間だったのかもしれません。

さらに、若い世代が都市部へ出ていくにつれて、地域全体でも母語を使う機会が減っていきました。祭りや親戚の集まりなど、かつては母語が飛び交っていた場でも、標準語での会話が主流になっていったのです。気づけば、私の耳に届く故郷の言葉は、祖父母や年配の方々の声に限られるようになっていました。そして、その声も、時間と共に少しずつ遠くなっていきました。

話せない自分への問い

母語が静かになっていく過程で、私自身もその言葉を積極的に使うことをやめてしまいました。使う機会が減り、自然と口から出てこなくなったという方が正確かもしれません。簡単な挨拶や相槌はできても、自分の考えを深く話したり、込み入った話を理解したりすることは難しくなりました。

故郷に帰省した際、年配の方々が楽しそうに母語で話しているのを聞くと、温かい気持ちになると同時に、少し疎外感のようなものを感じることもありました。「自分もあの輪に入れたら」と思うのですが、言葉が壁となってしまいます。親戚から母語で話しかけられて、うまく答えられなかった時の気まずさは、今でも覚えています。

なぜ、もっと話しておかなかったのだろう。なぜ、親が話さなくなった時に疑問を持たなかったのだろう。そんな自問自答を繰り返す時期もありました。それは、言葉を失ったことに対する後悔というよりは、自分のルーツの一部が静かに遠ざかってしまったことへの寂しさだったのかもしれません。

残されたもの、これから

言葉は静かになりましたが、全てが失われたわけではありません。母語と共に育まれた地域の文化や習慣、人とのつながりは、形を変えて残っています。特定の行事の際にふと感じる空気感や、故郷の風景を見た時に心に湧き上がる感覚は、言葉になっていないとしても、確かに母語と共にあった記憶と繋がっているように感じます。

また、かつて当たり前に使われていた言葉が、実はその土地ならではの考え方や、自然との関わり方、人間関係のあり方などを映し出していたのだと、今になって気づくことがあります。例えば、特定のものを指す言葉に込められた意味合いや、人間関係を表す敬称の使い分けなどから、その文化の奥深さを感じることがあります。専門的な辞書や研究書を手に取ることはありませんが、インターネットや関連書籍で少し調べてみるだけでも、新たな発見があります。

故郷の言葉が日常から消えていく経験は、ある意味で私自身のアイデンティティを問い直すきっかけにもなりました。言葉を話せないからといって、故郷やルーツとの繋がりが完全に断たれるわけではありません。しかし、言葉が持っていた温かさや、人々の心に直接響く力は、他には代えがたいものがあります。

今、故郷の言葉について語る機会を持つことで、改めてその存在の大きさを感じています。言葉が静かになった風景の中に、私が受け継いだ大切な何かが確かに息づいている。そう信じて、これからも自分のルーツを見つめ続けていきたいと考えています。