母語から生まれる物語

私の内面で響く、もう一つの言葉:夢や思考に現れる母語の痕跡

Tags: 母語, ルーツ, アイデンティティ, 夢, 思考, 記憶

日常から遠ざかった母語、内面で感じるその気配

普段の生活で、私たちはどのような言葉を使って考え、そして夢を見ているでしょうか。多くの人にとって、それは日常的に話している言葉、たとえば標準語かもしれません。しかし、少数言語が使われる地域で育ちながら、今はその言葉をほとんど話さなくなったという方もいらっしゃるかと思います。言葉はコミュニケーションの道具ですが、それだけではなく、私たちの内面、思考や感情、そして無意識にまで深く関わっているのかもしれません。

今回お話を伺った山田さん(仮名、50代)も、そうした一人です。山田さんの故郷ではかつて母語が日常的に使われていましたが、時代の流れとともに標準語化が進み、山田さん自身も家庭や地域で母語を使う機会が年々減少しました。現在は都市部で暮らしており、仕事でもプライベートでも、話す言葉は全て標準語です。山田さんは言います。「もう何十年も、日常で母語をまとまって話すことはありません。でも、たまに、ふとした瞬間に、自分の中に母語の気配を感じることがあるんです。」

思考の片隅に浮かぶ、忘れがたい単語

山田さんが母語の気配を感じる瞬間のひとつは、思考の奥底に特定の単語が浮かんでくる時だといいます。普段、頭の中で考えを巡らせる時は標準語を使っていますが、疲れている時や、感情が強く動いた時、特に故郷を懐かしく思うような時には、祖母がよく使っていた母語の単語や、ある風景を言い表す独特な言い回しが、ふっと頭をよぎることがあるそうです。

「標準語に訳そうとすると、どうもニュアンスが違う。その母語の単語でなければ表せない、肌触りのようなものがあるんです」と山田さんは語ります。それは、単なる言葉ではなく、その言葉が使われていた頃の情景や、共に過ごした人々の温かさ、故郷の空気そのものを思い起こさせるものだといいます。意識的に思い出そうとしても難しいのに、無意識の領域から不意に現れるその言葉は、まるで内面に埋もれていた記憶の断片のようです。

夢の中に響く、もう一つの声

さらに興味深いのは、山田さんが夢の中で母語を聞いたり、話したりすることがあるというお話です。若い頃の夢はほとんど標準語だったそうですが、年齢を重ねるにつれて、故郷の風景や、今は亡き祖父母、両親が出てくる夢の中で、母語が聞こえる頻度が増えてきたといいます。

夢の中の会話は、必ずしも流暢ではなく、現実の会話のような論理的なやり取りではないことが多いそうです。断片的な言葉、歌のような響き、あるいは特定の単語だけが繰り返されることもあります。しかし、その夢の中の母語は、山田さんにとって非常にリアルで、忘れられない感覚を伴うといいます。「温かい、安心する、懐かしい、でも少し切ない。そんな感情が、夢の中で聞こえる母語の音には宿っているんです」と山田さんは話します。それは、日常から失われた言葉が、無意識の世界ではまだ生き続けているかのような感覚だそうです。夢の中の言葉が、故郷の祭りや特定の場所、幼い頃の出来事と結びついていることも多く、それは自身の深層心理やルーツが、母語という形で現れているのではないかと感じているとのことでした。

内面に息づく言葉が語る、自身のルーツ

思考や夢の中に現れる母語の痕跡は、コミュニケーションツールとしての言葉とは異なる意味を、山田さんにもたらしています。それは、自身の内面でまだ故郷が、家族が、そして自身のルーツが息づいていることの証です。普段の生活では意識しなくても、自分という人間の深い部分は、母語という見えない糸で故郷と繋がっている。その気づきは、山田さんに安心感と、自身が何者であるかを確認する手がかりを与えてくれるといいます。

言葉は、ただ話すだけでなく、考え、感じ、そして夢を見る中にも存在しています。日常から遠ざかってしまった少数言語であっても、その響きや特定の単語が、私たちの内面で形を変えて残り続けることがあるのです。それは、失われたかに見える言葉が、実は私たちの心の奥底で生き続けていることを教えてくれます。そして、その内面に息づく言葉の気配こそが、私たちのルーツやアイデンティティを静かに語りかけているのかもしれません。

山田さんのように、普段母語を使わない方の中にも、もしかしたら同じような経験をお持ちの方がいらっしゃるかもしれません。自身の内面、思考や夢の中に、ふと現れる母語の気配に耳を澄ませてみることは、自身のルーツと向き合う、静かで個人的な旅になるのではないでしょうか。