標準語と母語のはざまで:教室から消えた言葉
静かになった教室の響き
今回お話を伺ったのは、〇〇地方(特定の地域名は避けるためこのように表現します)で生まれ育った〇〇さん(仮名)です。〇〇さんが子どもの頃、地域ではある少数言語が日常的に使われていました。しかし、学校での教育を通して標準語が中心となるにつれて、言葉を取り巻く環境は大きく変化していったといいます。その変化の中で、〇〇さんが感じてこられたこと、そして言葉への思いについてお伺いしました。
〇〇さんが小学生だった頃、学校では厳しく標準語を使うように指導されていたそうです。休み時間や放課後であっても、友達同士で少数言語を使っていると、先生から注意を受けることがしばしばあったといいます。
「家では当たり前に使っていた言葉なのに、学校では『使っちゃだめ』と言われる。子ども心に、なんだか悪いことでもしているような気持ちになったものです」と、〇〇さんは当時を振り返ります。
家と学校で使う言葉が違う。このことは、子どもたちの間で言葉のヒエラルキーを生むことにもつながりました。標準語を上手に話せる子が「すごい」とされ、少数言語しか話せない子、あるいは少数言語のなまりが強く残る子は、からかいの対象になることもあったといいます。
「最初は、友達同士ではこっそり母語を使ったりもしていました。でも、だんだんみんなが標準語で話すようになって、自分もそうしないと会話に入れないような雰囲気になっていったのです。教室から、だんだんと母語の響きが消えていったように感じました」
家庭にまで影響した言葉の変化
学校教育における標準語の浸透は、子どもたちの言葉遣いを変え、それはやがが家庭にまで影響を及ぼすようになりました。子どもが学校で習った標準語を家で使うようになり、親もまた子どもに合わせて標準語で話すようになる、という現象が見られたのです。
〇〇さんのご家庭でも、両親は少数言語で話すことが多かったそうですが、〇〇さんや兄弟が学校に行くようになると、子どもたちには標準語で話しかけることが増えたといいます。
「親は、子どもが学校で困らないように、あるいは将来のためにと、標準語で話すことを促したのだと思います。悪気はなかったのでしょう。でも、そこで自然と母語を使う機会が減ってしまったことは確かです」
こうして、地域全体としても少数言語を使う場面は次第に減っていきました。かつては商店でのやり取りや近所での立ち話でも自然に聞かれた言葉が、特定の高齢者層の間で交わされる限られた言葉になっていったのです。
言葉が教えてくれること
「大人になってから、改めて自分の母語について考える機会がありました」と、〇〇さんは語ります。「完全に話せなくなってしまったわけではないのですが、子どもの頃のように淀みなく話すことはもう難しいと感じています。語彙もずいぶん忘れてしまいました」
少数言語が衰退していく現状を目の当たりにして、〇〇さんは複雑な思いを抱いています。言葉は単なるコミュニケーションの道具ではなく、その地域の人々の歴史や文化、考え方が詰まった宝物だと感じているからです。
「例えば、母語には標準語にはない独特の表現がたくさんあります。それは、この地域の自然や暮らしに根差した表現だったり、人とのつながりを大切にする気持ちを表す言葉だったりするのです。そうした言葉が使われなくなるということは、単に言葉が消えるだけでなく、その言葉に宿っていた文化や感性も失われていくのではないか、と感じています」
標準語教育が進んだ時代を生きた〇〇さんですが、だからこそ言葉の多様性や、自身のルーツとしての母語の価値を強く意識するようになったといいます。
「完全に話せなくなってしまったことへの寂しさはあります。でも、たとえ流暢に話せなくても、その言葉が自分の一部であることには変わりありません。これからも、失われつつある言葉に耳を傾け、それが教えてくれることを大切にしていきたいと思っています」
〇〇さんのお話は、言葉を取り巻く環境の変化が、一人の人間のアイデンティティや文化認識に深く関わっていることを教えてくれます。そして、流暢に話せなくても、母語やルーツへの思いを持ち続けることの大切さを静かに語りかけているかのようでした。