故郷の家を守るモノたち:静かに語り継ぐ言葉の記憶
言葉が静かになった家を訪ねて
故郷の家は、私にとって特別な場所です。今はもう、かつてのように賑やかに言葉が飛び交うことはありません。祖父母の代から大切にされてきたあの言葉は、私の世代では日常的に使う人が少なくなってしまいました。私も、残念ながら自由に話すことはできません。しかし、実家へ帰るたび、家の中に息づいているモノたちが、静かに何かを語りかけてくるように感じています。
モノが呼び覚ます、あの頃の声
玄関を入ってすぐのところに置かれた古い木製の箪笥。表面は使い込まれて艶があり、角は丸みを帯びています。子どもの頃、この箪笥の引き出しから祖母が大切にしまっていたお菓子を出してくれたこと、その時に祖母が使っていた優しい言葉の響きを覚えています。「〇〇(故郷の言葉で『可愛い孫よ』のような意味)、これおあがり」と言いながら、柔らかく頭を撫でてくれた手触りまで蘇ってくるようです。言葉自体は明確に思い出せなくても、その音、その温かさ、そして祖母の表情と結びついた感情は、この箪笥に触れるたびに胸いっぱいに広がります。
台所にある土間には、かつて囲炉裏がありました。囲炉裏そのものは今は使われていませんが、その傍らに立てかけてある五徳(ごとく)や自在鉤(じざいかぎ)といった道具を見るたびに、家族みんなで囲炉炉を囲んだ冬の夜を思い出します。パチパチと薪が爆ぜる音、温かい鍋をつつく音、そして、祖父がその日の出来事を故郷の言葉でゆっくりと話す声。子どもだった私には全てが理解できたわけではありませんが、声の抑揚や間の取り方で、楽しかったこと、大変だったこと、色々な感情が伝わってきました。道具たちは、ただそこにあるだけでなく、かつてそこで交わされた言葉の響きや、家族の温かい空気感を記憶しているかのようです。
モノに宿る、言葉にならない知恵
これらの古いモノたちは、単なる家具や道具ではありません。そこには、故郷の言葉とともに受け継がれてきた暮らしの知恵や、自然と共に生きる哲学が宿っていると感じています。例えば、母が毎日欠かさず手入れしていた木製の臼(うす)。「これはただの臼じゃないんだよ。この木はね…」と、故郷の言葉でその木の種類や手入れの方法、そしてそこから生まれる食べ物の大切さを語ってくれたことがあります。言葉の意味は曖昧でも、モノを慈しみ、丁寧に扱う母の姿を通して、そのモノが持つ価値や、それに関わる暮らしの奥深さを肌で感じ取ることができました。
言葉は直接には伝わらなくても、モノの形、手触り、置かれている場所、そしてそれを使う人々の所作や表情に、言葉にならないメッセージが込められているのです。古い家そのものが、そしてその中で使われてきた一つ一つのモノが、故郷の言葉が失われた今でも、私たちのルーツや文化を静かに語り継いでいるように感じます。
モノを通して繋がる、未来への希望
残念ながら、若い世代の中には、故郷の家にある古いモノに関心を示さない人もいます。しかし、私はこれらのモノこそが、私たちと故郷、そしてかつてそこで話されていた言葉との、大切な架け橋になると信じています。モノに触れ、それが使われていた頃の暮らしに思いを馳せることで、言葉は知らなくても故郷の文化を感じ取ることができるかもしれません。
故郷の家を守るモノたちは、声高に叫ぶことはありません。ただ静かに、そこに存在し、触れる者に様々な記憶や感情、そして言葉にならない知恵を伝えてくれます。母語を話せない私にとって、故郷の家とそこで息づくモノたちは、ルーツを確かめ、未来へ繋いでいくための、かけがえのない存在なのです。