学校では教えてくれなかった、母語で紡がれた地域の知恵
教室から静かに消えた言葉
私が生まれ育った地域では、かつて家庭や近所とのやり取りの中で、ある少数言語が息づいていました。私の祖父母や両親の世代は、その言葉を使って日々の暮らしを営んでいました。私も幼い頃は、祖母の膝の上で、母語で語られる昔話を聞きながら眠りについたものです。その言葉には、地域の自然や季節の移ろいを表す独特の表現があり、私にとっては世界を理解するための最初の窓でした。
しかし、学校にあがる頃から、私の言葉の世界は少しずつ変わり始めました。学校では、授業はもちろん、休み時間も標準語を使うことがほとんどでした。母語で話す友達はいましたが、先生に注意されたり、からかわれたりすることを恐れ、次第に学校では標準語だけを使うようになりました。家庭でも、親が「これからは標準語が大事だ」と考えるようになり、私に話しかける言葉も標準語が増えていきました。
暮らしの知恵は、母語で語られていた
学校で学ぶ知識は、標準語で体系的に整理されたものでした。それはそれで新しい世界を開いてくれましたが、どこか味気なさを感じることもありました。なぜなら、祖母から母語で聞いていた地域の草木の名前や、天気の兆候の見方、昔から伝わる行事の謂れといった、暮らしに根ざした生きた知識は、学校の教科書には載っていなかったからです。
例えば、春先の野草を摘む時、祖母は母語でその名前と効能、そして摘み方を教えてくれました。それは単なる名前の暗記ではなく、その草木が地域の自然の中でどう育ち、人々の暮らしとどう関わってきたかという物語とともに伝わりました。しかし、学校ではその草木は標準語の名前で無機質に紹介されるか、あるいは全く触れられないかのどちらかでした。母語が日常から薄れるにつれて、そうした暮らしに密着した地域の知恵も、私の中で根無し草のようになっていくのを感じました。
祖父母の世代にとっては当たり前のことだった、地域の自然との向き合い方、人との助け合い、年中行事の意味合いといったものが、母語という土壌から切り離され、標準語の知識だけでは十分に理解できないものになっていったのです。学校で教えてくれることはたくさんありましたが、母語が担っていた、地域に深く根ざした「生きる知恵」は、そこにはありませんでした。
言葉は遠くなっても、心に残るもの
私は今、母語を流暢に話すことはできません。家庭や地域でも、その言葉が響く機会は減りました。しかし、幼い頃に母語で聞いた祖母の声の響きや、その言葉が語っていた地域の風景、そしてそこに宿る知恵の断片は、今も私の心の中に残っています。完全に言葉を失ってしまったわけではありません。耳にすれば、断片的に意味が分かりますし、心に染み入る感覚があります。
学校教育を通じて標準語を習得したことは、社会に出て生きていく上で非常に重要でした。しかし同時に、母語というレンズを通して見ていた地域の深い知識や、言葉に宿る感情や文化の機微を置き忘れてきてしまったという思いもあります。
もしかしたら、学校では教えてもらえなかった、母語で紡がれた地域の知恵に、今からでも耳を澄ませてみることはできないでしょうか。それは、過去を振り返るだけでなく、私自身のルーツや、この地域で生きてきた人々の声に触れることなのかもしれません。言葉は変化しても、そこに込められた温かさや知恵は、形を変えて受け継がれていく力を持っていると信じたいのです。