あの味に宿る母語の響き:消えゆく言葉と食の記憶
食卓の記憶と母語の断片
食卓には、単に空腹を満たす以上のものが詰まっています。家族が集まり、今日の出来事を語り合い、温かい料理を分かち合う場所。そして、そこには時に、その土地ならではの言葉や、親から子へと受け継がれる声が響いていました。少数言語の話者であるAさん(60代)にとって、故郷の食卓は、失われつつある自身の母語が、最も色濃く残る場所だったと言います。
「子供の頃、祖母や母が台所に立つと、いつも何かをつぶやいているようでした」とAさんは振り返ります。「その頃は標準語も話していましたが、料理に関することだけは、なぜか母語の言葉がたくさん出てきたんです」。
例えば、特定の野菜の名前。標準語では一言で済むものが、母語では成長段階や種類によって呼び方が異なったり、調理法によって表現が変わったりすることがあったそうです。また、「かき混ぜる」「煮込む」「味を見る」といった動詞にも、微妙なニュアンスの違いを表す母語の言葉があり、祖母や母はそれを無意識に使っていたと言います。
「一緒に料理をすると、自然とそういう言葉を聞くことになる。幼心に、それは料理をする時の『おまじない』みたいなものだと感じていました。その言葉を聞くと、これから美味しいものができるんだ、という期待感があったんです」。言葉は、ただの情報伝達の手段ではなく、温かい食卓の情景や、料理の香り、家族の笑顔といった五感を伴う記憶と強く結びついていました。
故郷の言葉が薄れていく食卓
時代が移り、家庭での言葉も標準語が中心になっていきました。学校教育はもちろん、メディアの影響もあり、子供たちが母語を使う機会は次第に減っていきました。食卓も例外ではありませんでした。
「私たちは子供に標準語で話しかけるようになりました。自分たちの苦労をさせたくない、外の世界で困らないようにという親心だったと思います」とAさんは語ります。「最初は、食材の名前だけは母語で呼んだりしていたのですが、それもだんだん言わなくなって。いつの間にか、食卓での会話はほとんど標準語だけになりました」。
母語の言葉が食卓から消えていくのと並行して、故郷の伝統的な料理を作る機会も減っていったと言います。手間がかかるもの、特定の食材が必要なものなど、かつての日常だった料理が、特別な日のものになり、やがて食卓に上らなくなっていきました。
言葉が失われることは、単にコミュニケーションの手段を失うだけでなく、それに付随する文化や生活の知恵、そして何より、家族との記憶までもが遠くなっていくように感じられたと言います。
「あの頃、母がどんな風に言葉と料理を結びつけていたのか、もっと聞いておけばよかった。一つ一つの言葉に、どんな意味や思いが込められていたのか、今になって知りたいと思うんです」。言葉を失ったことへの、静かな後悔が滲みます。
あの味を辿り、言葉の響きを探す
それでも、完全に失われたわけではありません。Aさんは、故郷を離れて暮らすようになった今でも、実家から送られてくる故郷の味や、自分で作る故郷の料理に触れるたびに、忘れていた母語の言葉や、家族の声が鮮やかに蘇る瞬間があると話します。
「例えば、特定の魚を煮付ける時の、あの独特の匂いを嗅ぐと、ふと祖母が使っていた魚の名前の母語が頭に浮かぶんです。言葉の意味はすぐに思い出せなくても、その響きだけが強く心に残っている」。
味が記憶のトリガーとなり、失われた言葉の断片を呼び覚ますのです。それは、完全に理解できる言葉ではなくても、ルーツと繋がっている確かな感覚をもたらします。
Aさんは近年、若い世代に故郷の料理を教える活動に参加するようになりました。その際、料理の手順や食材の説明をする中で、意識的にかつて耳にした母語の単語や表現を織り交ぜるようにしていると言います。
「全てを完璧に伝えることはできないかもしれません。でも、この料理にはこういう名前の食材を使うんだよ、とか、こういう風に下ごしらえする時の母語はこう言うんだよ、と伝えるだけで、聞いている若い人たちの何かが動くかもしれない。それが、たとえ小さな一歩でも、言葉と文化を繋いでいくことにつながるのではないかと思っています」。
食卓から言葉が薄れても、料理の味や香り、そしてそれらを囲む人々の記憶の中に、母語の響きは静かに、しかし確かに息づいています。言葉は失われても、心の中に残る「あの味」が、故郷と私たちを結ぶ見えない糸となり、消えゆく言葉の記憶を留めているのです。それは、標準語を話す私たちにとっても、自身のルーツにある「声なき言葉」に耳を澄ませるきっかけを与えてくれるのかもしれません。