あの頃、言葉が分からなくて泣いたこと:母語と標準語のはざまで
子供の頃の記憶、言葉の違う世界
「あの頃は、まるで言葉の違う世界にいるような感覚でした」
そう語るのは、故郷を離れて都市で暮らす山田さんです。山田さんが生まれ育った地域では、家庭や近所の人々との間である特定の少数言語が使われていました。しかし、学校に通い始めたことで、標準語との違いを強く意識するようになったといいます。
家庭で響いた温かい音
幼い頃、山田さんにとって言葉は、家庭の温かい空間そのものでした。お父さんやお母さん、祖父母が話す言葉は、安心感や愛情を伝える響きを持っていました。特定の表現や言い回しには、地域の暮らしや文化が色濃く反映されており、それが自分たちの「当たり前」でした。
「家では、みんなその言葉で話していましたから、それが世界の全てだと思っていました。遊び方も、歌も、食べ物の名前も、全部その言葉でしたね。」
標準語との出会い、そして戸惑い
小学校に入学したことが、山田さんの言葉の世界を大きく変えました。学校の先生や友達が話すのは、家庭で聞いていた言葉とは違う標準語でした。
「最初のうちは、授業で先生が何を言っているのか、よく分からないこともありました。友達との会話も、家で使う言葉で話すと通じなくて、からかわれたりもしました。」
特に辛かったのは、自分の伝えたいことがうまく相手に伝わらなかったり、周りの子供たちが笑っている冗談の意味が理解できなかったりした時でした。言葉の壁にぶつかるたびに、自分の「普通」が外の世界では通用しないのだという現実を突きつけられ、寂しさや疎外感を覚えたといいます。
「言葉が分からなくて、クラスの中で一人だけ置いてけぼりにされたような気がして、泣いてしまったこともあります。どうして自分だけ違うんだろう、って思いました。」
薄れていった母語の音
成長するにつれて、山田さんは自然と標準語を使う機会が増えていきました。学校生活はもちろん、テレビや本も標準語です。家庭でも、子供に分かりやすいようにと、親が標準語で話しかけることが増えていきました。
「親は、私が外の世界で困らないようにと、標準語を積極的に使ってくれたんだと思います。でも、そのうちに、私自身も母語で返すことが難しくなっていきました。使う機会が減ると、単語が出てこなくなったり、言い回しを忘れてしまったりするんです。」
こうして、山田さんの家庭から、かつて当たり前だった母語の響きは少しずつ薄れていきました。親との会話も標準語が中心になり、以前のような流暢なやり取りは少なくなっていきました。
大人になって感じること
大人になり、故郷を離れて暮らす今、山田さんは子供の頃に失ってしまった母語への思いを強く持つようになったといいます。
「若い頃は、標準語が話せること、外の世界で通用することの方が大切だと感じていました。でも、年齢を重ねるにつれて、自分のルーツである故郷の言葉や文化への関心が高まってきたんです。話せなくなったことに、寂しさを感じます。」
インタビューの終わりに、山田さんは静かにこう語りました。
「言葉は失われてしまいましたが、子供の頃に家庭で感じた温かさや、言葉を通して伝わってきた地域の空気感は、心の中にしっかりと残っています。話せなくても、私の大切な一部なんです。そして、私のように、かつて母語があった場所で育ち、今は話せないという人は少なくないと思います。言葉そのものではなくても、そこに息づいていた文化や人々の思いに触れることが、自分のルーツを知る上で大切なことだと感じています。」
山田さんのように、子供の頃に言葉の違う世界に触れ、標準語の中で成長していく中で母語が薄れていったという経験を持つ方は少なくないかもしれません。言葉が完全に失われてしまったとしても、その言葉がかつて存在した場所、文化、そして人々の間に確かにあった温かい繋がりは、記憶の中に残り、私たち自身の根っこを形作る大切な要素となるのです。