あのメロディー、この言葉:子守歌に残る母語の温もり
言葉は遠くなっても、耳に残る音
ある特定の地域で静かに話されてきた言葉は、学校や仕事といった公の場ではなかなか耳にすることが少なくなりました。しかし、私たちの個人的な生活、特に家庭の中で、その言葉が確かに息づいていた場所があります。今回は、子守歌という形で母語の響きを受け止め、それが自身の内面にどう影響を与えてきたのかを語ってくださったAさんにお話を伺いました。
母の声、初めての「物語」
Aさんが幼かった頃、寝かしつけの時間に母が歌ってくれた子守歌は、世界で一番安心できる音でした。歌詞に使われていたのは、Aさんの生まれ育った地域で話される言葉です。
「正直、子供の頃は歌詞の意味を一つひとつ理解していたわけではありません。でも、母の声の抑揚、リズム、そしてその言葉独特の響きが、身体に染み込むような感覚でした。それが私の心に初めて刻まれた『物語』だったのかもしれません」
Aさんのご家庭では、日常会話は次第に標準語が中心になっていましたが、こうした生活の節目や感情が強く表れる場面で、自然とその言葉が使われたといいます。子守歌はまさに、母から子へ、言葉と文化、そして何よりも愛情を伝える大切な手段でした。
消えていった響き
時代が進み、Aさんが成長するにつれて、地域でも標準語がさらに広く使われるようになりました。学校教育も標準語で行われ、子供たちの遊び声も標準語です。母が子守歌を歌うことも少なくなっていきました。
「自分が親になった時、ふと子供に子守歌を歌ってあげたいと思ったんです。母が歌ってくれたあのメロディーは鮮明に覚えている。でも、いざ歌おうとすると、歌詞が出てこないんです。ぼんやりとは覚えているのですが、確信が持てない。結局、標準語で知っている子守歌を歌って聞かせました」
その時、Aさんは心にぽっかりと穴が開いたような寂しさを感じたといいます。自分が受け取った温かい響きを、そのままの形で次の世代に渡せない。言葉が失われていく過程を、子守歌という個人的な体験を通して強く実感した瞬間でした。
心に響き続ける温もり
子守歌の言葉は薄れても、メロディーはAさんの心に深く刻まれています。そして、そのメロディーを聞くたびに、幼い頃に感じた母の温もり、安心感、そして故郷の情景が鮮やかに蘇るそうです。
「言葉の意味は思い出せなくても、あのメロディーには確かに母語の響きが宿っていると感じます。それは、単なる音や言葉以上のもの。愛情や安心感、そして自分がその土地で育ったという証のようなものです」
子守歌を通じて受け取った母語の温もりは、形を変えながらもAさんの内面を支え続けています。それは、言葉そのものを話す機会が減っても、ルーツとの繋がりを確かめられる大切なよりどころとなっています。言葉は時に静かになっても、心に響く音や温もりは、確かに受け継がれているのかもしれません。